「嫌い」や「苦手」はキャリアの指針になる

突然ですが。

「嫌い」って、基本的にはすごくネガティブな言葉ですよね。

いい人間でありたいと思えば思うほど、「嫌い」という感情は見なかったことにしたいし、できればなんでも好きな方が人生だって楽しい。

私は仕事上相談業務をすることも多いけれど、がんばり屋で一生懸命な人ほど、「嫌い」とか「したくない」という言葉は使わないようにしているのを感じます。

 

でもでも。

 

「嫌い」にしっかり向き合うこと、そして「嫌い」から前に進むものは、確実にあります!ので、今日は「嫌いもキャリアの指針になる」ことについて書いてみます。

 

本当にどうしても「嫌なこと」「苦手なこと」は自信をもって避けていい
日本では「苦手なことは克服すべき!苦しんで克服するのが偉い!」というのが強いように思うのですが、私はそうは思いません。

例えば、私は細かい作業と連続して同じことをする作業がとても苦手で嫌いです。

入力は間違えるし、緻密さが要求される仕事は抜けます。もちろん、抜けることが分かっているので仕組みでカバーしたりダブルチェックしたり・・と抜けない仕組みを作ってがんばっているのですが、元から緻密な人にはとてもかなわないし、がんばっても抜けたりして、本当に落ち込みます。

で、例えば、こんな私が「スキルがある事務職・・・そうだ、経理だ!」と経理を目指したとします。

・・・うん、多分すごく辛いことになりますね。

要は、「どうしても苦手なこと、やりたくないこと」を職業選択や業界選択で避ける、というのも、立派なキャリア選択の一つだ、ということです。

恋は盲目とはよくいったもので、特に「この会社が良い!」「この職種しかない!」
と思うと、この「苦手」「嫌いなこと」を見ないふりをしてキャリア選択をしてしまう、ということが起こりがちです。そして結果は・・・中々つらいことになります。

ですから、キャリア選択において「苦手や嫌いを把握して、それをきちんと避ける」
というのも立派な戦略である、といえます。

 

「これは許せない」からやりたいことが見つかることもある
私はいま、親子に関する社会問題を解決するNPOにいます。

私が今今の団体にいる理由を一言で言うと、「今の社会の状態が許せなくてどうにかしたかったから」です。

社会人になってから、すごく優秀な女性や、仕事を続けることを望んでいた友人が、
結婚や出産育児を原因に次々と仕事を諦めていく姿を見てきました。そして、自分自身も「自分が女性であること」の壁にぶち当たってきました。そして、色々調べた末に行き着いた結論が、「社会の方を変えないとダメだ」でした。

回りくどくなりましたが、要は「今の社会の仕組みが嫌→変えたい」と思ったのです。
もちろん、もっとキラキラした人を増やしたいんだ!というポジティブな気持ちもありましたが、どちらかといえば、今のままの社会に住むのが嫌でした。

「嫌」というと、なんだか何も生まれないような気になりますが、世の中の便利なものもサービスも、元は「こうなったらいいのに」から生まれたものがしめています。

もちろん、「これがしたい!」「これが好き!」からの選択ができれば最高なのですが、「これは嫌だ!」から生まれる「やりたい」もあるのではないでしょうか。

 

「嫌い」に向き合うと、避けるべきことややりたいことが見えてくるかもしれない
キャリアの方向性を決める時、よく言われるのは「得意」や「好き」に向き合うことです。

しかし、上記に書いたような理由から、同時に「苦手」や「嫌い」に向き合うことも、
私はとても大事だと思うんです。

もし、これからキャリアの方向性をシャープにしていきたい、と思う時。是非自分の中の「苦手」や「嫌」に向き合うこともしてみてください。

新しい発見があるかもしれません。

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なぜ若い内に色んな経験をした方がいいのか

「若い内に色んな経験をしろ」「沢山学べ」これってすごくよく聞きますよね。説教臭いなあ・・なんて思うと思うのですが、それでも言いたい。若い内に色んな経験をすると、すごくいいことが沢山あると。

どんどん体力がなくなるからとか、時間がなくなるから、とかではなくて、それよりもっと大切な、いいことがあるからだ、と大人になって気が付きました。今日はそれを伝えたいです。

 

経験が経験を呼んでくれる

昔から好奇心旺盛で、小学生の時、習い事に沢山チャレンジしました。ピアノ、バトン、習字、水泳、バトミントン・・・。音楽は得意で、運動がとても苦手でした。ピアノはよく伴奏者に選ばれていたけれど、バトンはいつも1番後ろの端にされていました。短距離走もビリッ欠。選ばれる誇らしさも、選ばれない悔しさも知りました。

中高生。「英語が上手いね!」とおだてられた私は市や学校の交換留学制度の試験にチャレンジして、オーストラリアやドイツに行かせてもらいました。コアラは抱っこすると爪が食い込んで痛い、エミューは並んで走ると早すぎで超こわい。YESNOはっきりしないと怒られる。ドイツは戦争を反省するモニュメントが町のいたるところにある。日本にはない。国が違っても好きな人と苦手な人がいる。そんな事を知りました。

大学生。今度はアジア圏に行ってみたい!とフィリピンの山奥の村で植林をするサークルに入りました。水道もガスもお風呂もなくても豊かな生活と人に会いました。そのまま国際系のゼミに入って、日中韓について学び、韓国に合宿に行きました。そこで韓国人の学生に一目惚れ。韓国語が0ベースから半年で中級レベルになり、韓国に10回近く行って(※旅行や短期留学)、韓国の食べ物が大好きになりました。

・・・書ききれないほど、沢山のエピソードがあります。そして、そのエピソードは、ひとつひとつ新しいきっかけとなって、また新しい経験と素敵な人達と巡り合わせてくれました。ピアノを他の楽器や人とするととても楽しいから今バンドをやっていて、あの時韓国語が話せるようになったから韓国に友達がたくさんできて、好き嫌いそこそこあったのが色んな所で色んなものを食べたから、何を食べても美味しくなっていって。幸せが増えたように思います。

 

本は、体験していないことを疑似体験させてくれる

私達はすべてを体験することはできません。当然ですが、すべての気持ちを分かることもできません。そんな時、それを補完してくれるのが本でした。小学生の頃、ユニセフの本を読んで地球の裏側でご飯が食べられない同じ年の子どもたちがいるのを知りました。戦争をしていた頃は何が起きていたのか?そもそも何故戦争がはじまったのか?恋愛すると頭の中はどうなってしまうのか?北極では人はどうやって暮らすのか?何故この人は犯罪を犯してしまったのか?自分が体験していない、体験できないこと、自分では想像もできない環境や気持ちがあること。本はそれを教えてくれました。

だから、私は本を読むことが大好きで、本はとても大切な存在です。そして、本やテレビで日本の親子に関わる問題を知ったから、私は今のNPOにいます。

 

経験したり、学ぶと、たくさんのことが「自分ごと」になっていく

長くなりましたが、経験したり学んだりすると、周りで起きている色んな事が「自分ごと」になっていくのだと思います。行った国で何かが起きると、そこにいる友人たちが心配になり、政治についても気になる。自分とは全然違う考えでも、そのような状況にあればそのような考えになる可能性があることが想像できる。こんな事をすると、人は元気になってくれるということが分かる。

それは、周りに無関心で時間を過ごすよりも、多分とてもおもしろくて、素敵なことなんじゃないかと。そして、その範囲を広げれば広げるほど「幸せと興味のボーダーライン」はどんどん下がって、色んなこと興味と幸せで溢れていく、そんな風に思うのです。

 

それが、若い内に増やせれば、より長く人生の面白い所を増やせる。だから若い内に経験したり勉強したりしたほうがいい。これが私の個人的な意見です。

 

多分一生、すべてのことを知れることはないし、わからないことだらけだと思うけれど、行きている限り、知ることのできる感情を経験を学習を、思い切りしていこう。そんな風に思っています。